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春日井簡易裁判所 平成11年(ハ)182号 判決 1999年12月27日

原告

長江眞治

右訴訟代理人弁護士

鈴木順二

梅田実

被告

松本雅師

右訴訟代理人弁護士

野浪正毅

松本卓也

主文

一  被告は、原告に対し、金六万三三〇〇円及びこれに対する平成一一年七月二四日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、それぞれを各自の負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

被告は、原告に対し、金三八万円及びこれに対する平成一一年七月二四日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。

第二  請求原因の要旨

本件は、次の事故により原告が被った損害の賠償請求である。

(事故の態様)

一  平成一一年七月二四日午後七時ころ、原告の飼い犬(ポメラニアン種・雄・七歳・呼び名「ゲンキ」、以下ゲンキという)を原告の母親長江スミ子が原告宅前の霜畑公園で散歩させていたところ、三匹の飼い犬を連れていた被告に遭遇した際、そのうちの一匹が突然被告の手綱を離れてゲンキに襲いかかり、その左側胸部に咬みつき、ゲンキは、その傷が原因で同月二七日死亡した。

(事故の原因)

二 右事故の原因は、被告には飼い犬を散歩させる際、手綱をしっかり持ち、飼い犬が他人に危害を加えないよう注意すべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、漫然と散歩させた過失による。

(原告の損害)

三1 原告の飼い犬の代価一八万円

2 慰謝料 二〇万円

合計 三八万円

3 治療費一二万三五〇〇円は平成一一年八月一九日受領済み

(結論)

四 よって原告は被告に対し、民法七〇九条及び七一八条による損害賠償として、三八万円及びこれに対する事故の日である平成一一年七月二四日から支払済みまで民法所定の年五パーセントの割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  被告の答弁及び主張

一  請求棄却の判決を求める。

二  原告主張の事故が発生し、それが原因で原告の飼い犬が死亡したことは認めるが、原告にも相応の過失責任がある。

三  原告の損害は争う。

(事故の態様)

四1  被告は、当日の午後四時ころ、いずれも体長六〇〜七〇センチ、体高三〇〜四〇センチの三匹の犬の散歩に霜畑公園へ行き、右手に一匹左手に二匹、それぞれ手綱をつけて持っていた。左手の手綱は、手元は一本で先が二つに分かれている。

2  藤棚の辺りへ来たとき、一二〜三メートル先に原告の母が立っていて、そのまわりを手綱をつけていないゲンキが走り回っていた。そのうちゲンキは、こちらに向かってキャンキャン吠え立てた。そのとき、被告の右手の犬プチ(以下プチという)が突然そちらへ向かって走り出し、被告は前のめりに転びそうになり、おもわず手綱を離した。プチはそのままゲンキのところへ行き、二匹の犬はじゃれ合っているように見えた。

3  そのうち、原告の母はゲンキを抱きかかえて公園を出ていき、被告も再びプチの手綱をつかみ散歩を続けた。従って、その時点ではプチがゲンキを咬んだことは全く気づかず、原告の母もそのようなことは全く言わなかった。

4  プチがゲンキを咬んだことは、当日午後七時三〇分ころ、原告及び原告の母が被告の自宅へ来て話したので初めて知った。

(因果関係)

五1  被告は、相当の注意義務をもって手綱をつけ犬を散歩させていた。

2  原告は、比較的小型のゲンキを散歩させる以上、他の犬に遭遇すること及び犬同士の喧嘩も予想されるので、手綱をつけて危険が発生した場合は直ちに引き寄せ、抱きかかえるなどして被害を未然に防ぐべき注意義務があるのに、手綱をつけず放し飼いの状態で遊ばせていたのであり、これが本件事故の最大の原因である。

犬を連れていたのは原告自身でなく、その母親であるが、このことは原告自身の責任を軽減すべき事情にならない。

3  原告は、事故後直ちにゲンキを病院へ連れていき、獣医の手当てを受けさせ被害病状の悪化を防止すべきであった。当日は土曜日であったが、事故は午後四時ころであり獣医の治療を受けることは可能であった。

午後七時三〇分ころ、原告らが被告自宅へ来た際、被告は「こちらでその犬を病院へ連れていくから獣医に診てもらいましょう」と申し入れたが原告は「明日、先生に往診してもらうようにしたから、その必要はない」と断った。原告が被告の申し出を受けて、すぐに治療を受けさせればこのような結果にならなかったと思われる。

結局、原告は七月二六日夕方になって、ようやく中村犬猫病院へ連れていったが既に手遅れで手術の甲斐もなく死亡した。事故後直ちに治療を受けさせていれば死を免れた可能性は高かった。

4  要するにゲンキの死について、その責任の大半は原告自身にある。

(損害)

六1  原告は、ゲンキの購入代金が一八万円(以前の請求では二二万円と主張していた)であるとして請求するが、その犬がそのような高価であるとは思われず、一般的に高価な犬は血統書など相当な証拠があるはずである。しかも平成三年か四年に購入したというなら既に七歳か八歳になっており購入当初の価値があるとは思えない。犬の代価に関する請求の根拠はない。

2  本件の事実関係においては、原告が慰謝料を請求できるような筋合いではない。

(訴訟外の和解)

七  被告は、原告の損害の一因が被告にあることを否定するものではなく、法律上の責任額を超えるゲンキの治療代全額の一二万三五〇〇円を既に支払い、原告との間に訴訟外の和解が成立しているので、それ以上の請求を受けるべきいわれはない。

第四  原告の反論

(事故の態様)

一  原告の母が、ゲンキを連れて帰宅したのは午後七時ころであり、事故の発生時刻は午後六時半過ぎである。ゲンキには手綱をつけていたので、原告の母のまわりを走り回っていないし、吠え立てたこともない。

被告の連れていた犬は二匹が中型犬、一匹が大型犬であった。それを見て喧嘩になるといけないと思い北の方へ引っ張って行った。しかし、直ぐに被告が連れていた三匹が吠え立て、そのうちの大型犬が被告の手綱を振り切ってゲンキのところへ来て、いきなりガブリと咬みつきゲンキを放り投げた。原告の母は自身の危険も感じ足で追い払おうとした。その間に被告が他の犬に引っ張られて来た。ゲンキを咬んだ犬の手綱は二つ繋いで長かったので被告は手綱をすぐに掴めた。「おじいさん、どこの人?」と尋ねたが被告は何も答えず、南の通路から公園の外へ出ていってしまった。

ゲンキは五分ほど放心状態で動かなかった。そこへ近所のおばさんが通りかかったので、あの三匹の犬を連れたおじいさんは誰かと尋ねたところ松本さんだと知った。やがて、ゲンキは動きだし、普通に排泄を済ませたので帰宅した。

(因果関係)

二 大型ないし中型の犬を、一度に三匹も両手に手綱を握り老人が連れ歩くことが「相当の注意義務」を果たしていたとはいえない。近隣の話では、被告はいつも大きな三匹の犬を連れて散歩しているが、高齢で体力的に無理があり、その管理は危ないと評判になっていた。今は一匹と二匹の二回に分けて散歩しているようである。以前、被告がハスキー犬を飼っていたころも、力の強い犬におじいさんが引っ張られるのを見て、危ないと評判であった。

原告の母は、ゲンキに手綱をつけていた。

ゲンキには掛かりつけの獣医があったが、当日が土曜日であり午後七時近かったので諦めていたところ、原告の母が同町内の安藤方へ行き、中村医院を紹介してもらい、安藤宅で電話してもらったら「(普通に歩けるのなら)大丈夫だから、近くへ往診に行くから、ついでに寄ります」とのことだったので中村先生にお願いして帰宅した。

午後八時ころ、原告らが被告宅へ行った際、被告は風呂に入っているとのことで被告の妻が応対した。同人は「うちの掛かりつけの獣医に連れていってもいいけれど、息子がおらんで土日は無理だわ」と言うので原告は「それなら中村先生に診てもらいます」と言って帰宅した。七月二六日の夕方に中村獣医が往診しゲンキを病院へ連れて行った。その後、手術をしたが、その甲斐なく死亡したのであって、原告はゲンキの救命のため万全の対応をしている。

(損害・訴訟外の和解)

三 いずれも被告の主張を争う。

第五  当裁判所の判断

(事故の態様・被告の過失について)

一  証拠(証人洞崎正幸、同長江スミ子の各証言、被告本人尋問の結果、甲1ないし5及び乙1ないし3)並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故の態様は、次のとおりであったと認めることができ、この認定に反する被告本人の供述部分及び乙2の記載部分は、前記証拠に照らし、直ちに信用することができない。

1 原告の母である訴外長江スミ子(以下、スミ子という)は、本件事故当日の午後七時ころ、ゲンキに手綱をつけて霜畑公園を散歩していたところ、三匹の犬を連れて散歩中の被告に出会い、そのうちの被告が右手に手綱を持っていたプチが突然ゲンキの方へ走り出し、被告は前のめりに転びそうになって手綱を離した。プチはゲンキの左胸部に咬みついた。

被告は、すぐにプチの手綱を掴み、やがて三匹を連れて公園を出て行ったが、その間、「おじいさん、どこの人?」と尋ねたが被告は何も答えなかった。ゲンキは五分ほど放心状態で動かなかった。そこへ近所の人が通りかかったので、あの三匹の犬を連れたおじいさんは誰かと尋ねたところ松本さんだと知った。そのうちにゲンキは動きだし、普通に排泄を済ませたので帰宅した。

2 帰宅後スミ子は、同町内の安藤の紹介により中村獣医に電話してもらったら「(普通に歩けるのなら)大丈夫だから、近くへ往診に行くから、ついでに寄ります」とのことだった。

午後七時過ぎから八時までのころ、原告らが被告宅へ行った際、被告の妻が応対し、うちの掛かりつけの獣医に連れていってもいいけれど云々と言い、原告は中村先生に診てもらいますと言って帰宅した。

3 ゲンキは七月二六日中村獣医が往診し、午後八時中村犬猫病院へ入院、胸部咬傷のため胸郭内に膿が溜まり肺炎を併発しており、二時間一五分を要した手術をしたが、翌二七日午前三時五〇分死亡した。

4 原告は、平成一一年七月二九日被告に対し、ゲンキ購入金として二二万円を請求した。

5 その後、中村犬猫病院の治療費一二万三五〇〇円(葬祭費用二万五〇〇〇円を含む)を被告が支払った。

6 被告は、右の治療費を支払ったことで本件については訴訟外の和解が成立したと主張するが、その事実を認めるに足る証拠はない。

二  被告は、事故発生の時刻は午後四時ころと供述するが、スミ子は毎日朝夕ほぼ定時にゲンキを散歩させており、夕方は民放のサスペンス劇場を見てから出かけるのが常であったというし、事故は目撃していないがそのころ同公園を散歩していた人がいるので、事故発生は午後七時ころと認められる。

被告は、スミ子はゲンキに手綱をつけておらず、立っているスミ子のまわりを走り回っていた、プチとゲンキは、じゃれ合っているように見えた、その時点ではプチがゲンキを咬んだことは全く気づかず、スミ子もそのようなことは全く言わなかったというが、被告のこれらの点についての供述は明瞭に見聞した結果でなく曖昧であって採用できない。

被告は、事故当時六六歳であったが、視力や聴力が通常人より落ちていたにもかかわらず、一度に中型犬三匹を連れて散歩していた。いずれも手綱をつけてはいたが、本件のような事故を予見し周囲に注意を払い、自分の犬が他人や他の犬などに突然飛びかかろうとしたときに犬の動作を十分制御できる態勢をとっていなければならないのにこれを怠り、漫然と散歩し、かつ、プチが走り出したとき、手綱を離してしまいゲンキの傷害を未然に防止することが出来なかった被告の過失は大きい。

一方、スミ子は原告の母親でゲンキの占有補助者といえるが、事故が発生する前に三匹の犬を連れている被告(これまでに出会ったことのない人と犬であった)を認めたのであるから、万一の場合を予見警戒し、プチが襲ってくる前にゲンキを引き寄せ抱き上げるなどの措置をとるべきであった。平成八年散歩中に他の犬に咬まれたことがあり獣医に治療を受けたことがあるというのであるから、突然の出来事ではあるが、手綱をつけた小型、軽量な犬を連れた原告側にも危険を避けうる余地はあったと思われ、この点に過失があったといわなければならない。

また、ゲンキ受傷後の措置については、原告らが被告宅へ行った時刻に食い違いがあるほか、治療先をめぐる双方の応答内容も明確に認定しがたいが、不幸にも事故の発生が土曜日の夕方であったこと、傷を受けた直後のゲンキは自分で歩ける症状であったこと、中村獣医の指示により往診を待ったことなどを考慮すれば原告の対処は止むを得ないようにみえる。

しかし、ゲンキの症状は次第に悪化していったのだろうから、遅くとも月曜日の午前には中村獣医なり他の獣医の診察を求めるなど、救命のために適切な対応がなさるべきであった。

そうすると、双方の過失割合は、原告に二〇パーセント、被告に八〇パーセントと認めるのが相当である。

(原告の損害について)

三 証人洞崎は、ゲンキを平成二年か三、四年にペットショップから総額一八万円で購入したが首輪など付属品は二万円くらいだったと思う、半年ほどして家庭の事情から飼育できなくなったので原告に無償で譲渡した、血統書があり当初は額に入れて飾っていた、原告は血統書は要らないと言った、後日金庫に移したが空き巣に金庫ごと盗まれた、最近ペットショップを通じ血統書の再発行を交渉したがリストがなく番号がわからないので出せないと言われた、その際ゲンキのような犬の時価をきいたら少なくとも八万円くらいということだった、と証言する。

スミ子は、平成二年、夫と二人で瀬戸市に住んでいたころゲンキを貰った、平成七年夫が死亡し、以後は現住所で原告である息子と住み、その間ずっとゲンキを飼育し、玄関先で寝起きさせて毎日朝夕の二回散歩させていた、息子が貰ってきたので生年月日は知らないし血統書のこともわからない、年に一度の予防接種は必要かも知れないが受けていない、遺体の処理と葬儀は総て獣医に任せたのでよくわからない、私たちはゲンキを長年家族同様に可愛がってきたので悲しくてならないと述べている。

これらを総合すると、ゲンキは本件当時八歳前後と推定できる。一般に犬の平均寿命は一二〜三年といわれているから、ゲンキは既に老犬期に入っていたこと、血統書の存否がわからないことに加えて、原告が譲渡を受けた経緯と原告方での飼育の状況などを考慮すれば、小型室内愛玩犬であるポメラニアン種は人気があるとはいえ、ゲンキの時価は八万円をもって相当と認める。

現在の社会現象として少子化、核家族化、高齢化が進むとともに家庭で飼われている犬や猫などは、ペット(愛玩動物)からコンパニオン・アニマル(伴侶動物)へ変化したといわれている。

原告とその家族は、長年にわたりゲンキを朝夕散歩させ、ときには傍らで共に食事させるなど愛撫飼育してきたが、突然の事故を目の当たりにし治療の効なく死亡したのであるから、かなりの精神的打撃を受けたことは首肯できる。しかし、本件は被告の過失の度合いが大きいとはいえ、犬同士の本能的行動によるものであること、その他、証拠によって認められる本件に関する一切の事情を考慮し、原告の受けるべき慰謝料額は三万円をもって相当とする。

そうすると、ゲンキの時価八万円と慰謝料三万円、治療費一二万三五〇〇円の合計二三万三五〇〇円から過失相殺により二〇パーセントを差し引くと被告の賠償額は金一八万六八〇〇円となる。

原告の被った損害のうち治療費一二万三五〇〇円は、被告が全額を支払済みであることは当事者間に争いがないから、これを差し引くと原告が被告に請求し得る損害額の合計は六万三三〇〇円となる。

(結論)

四 原告の請求は、以上認定の合計六万三三〇〇円及びこれに対する事故の日である平成一一年七月二四日から支払済みまで民法所定の年五パーセントの割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、これを超える部分は理由がない。

(裁判官宇野隆男)

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